無意識 (Ubw)
Unbewusste
es、id、それ (es)
ne-sachirou.iconが「無意識」と云ふ語を言ふ時は必ず Sigmund Freud (精神分析) の言った意味での無意識 (Ubw) です
無意識 - Wikipedia
全體的で、統一された、明晰な、本當の把握を
不可能にするものが無意識 (Ubw)である
不可避にするものが無意識 (Ubw)の主體である
「主體」とは本人の事
自我は、不可能な「全體的で、統一された、明晰な、本當の把握」を、缺如を覆って可能である樣に見せ掛ける
自我は代理 (執行者。agent) である
「本當の」を捨てて「全體的で、統一された、明晰な把握」を單に可能にする (暴) のが症狀である
理想自我$ i(a)、自我理想$ I(A)、超自我$ S(\cancel A)は自我の失敗 (夢 (願望の充足)) である
願望、顏貌性???
自我の失敗は自らが自我 = 主體だと主張する
自我は主體でないし主體は自我でないが、自我の失敗は自我 = 主體を主張する
自我の失敗を確立し妥協する (昇華 (catharsis)) のが症狀の治癒である
症狀を症狀の記號 (sinthome) とする事
自我の失敗 (夢 (願望の充足))
現實界 R (市) の失敗→市場外部性
「超自我$ S(\cancel A)= 主體」と主張する
それ (es) の代理
母への固着 (Mutterfixierung)
眞空
無 (無・不・非)。無注意
零原理
死の欲動
經濟論的無意識 : 對抗備給
別名 : 分析心理學 (Analytische Psychologie)、Carl Gustav Jungの自己 (Self)
想像界 I (組) の失敗→取り引き cost
「理想自我$ i(a)= 主體」と主張する
暗默知。性格。適應的無意識。人生の style
不 (無・不・非)。不注意
局所論的無意識 : 知覺 (W) / 意識 (Bw) / 前意識 (Vbw) / 無意識 (Ubw)。物表象 / 語表象。表象 (代理。備給) の移動、書き込み
別名 : 自己心理學 (Self psychology)、Heinz Kohutの自己
象徵界 S (法) の失敗→agency slack
「自我理想$ I(A)= 主體」と主張する
外界の代理
父の代理 (Vaterarsatz)
無意識 (Ubw)
非 (無・不・非)。非注意
性
部分恒常性
力動論的無意識 : 葛藤それ (es) / 超自我 / 自我。抑壓 (Verdrängung) / 否認 (Verleugnung) / 排除 (Verwerfung)
別名 : 自我心理學 (防衞機制) の自我
許し (攻撃 - 謝罪) / 救ひ (脆弱)
不可能 - 不可避
眞なる事の特徵
「本當」は空記號
學の四角形
三角形の中心
卽
絕對辨證法 - 絕對無 - 絕對媒介
僞 (假象の、虛構で、乖離した、誤った疎外 (Entfremdung)) は潛在性?
眞僞の平等性と否々平等性
自我
對抗備給
界
理想自我$ i(a)
→否認 (Verleugnung) 契約←暗默知
理想自我$ I(A)
→抑壓 (Verdrängung) 機知←無意識 (Ubw)
超自我$ S(\cancel A)
→排除 (Verwerfung) 確信←眞空
蚊居肢: デモクラシー信者
イラクへの攻撃の三つの「眞の」理由(①西洋の民主 (democracy)への ideology 的信念、②新しい世界秩序における米國の hegemony の主張、③石油といふ經濟的利益)は、パララックスとして扱はねばならない。どれか一つが他の二つの眞理ではない。「眞理」はむしろ三つのあいだの視野のシフト自體である。それらはISR(想像界・象徵界・現實界)のボロメオの環のやうに互ひに關係してゐる。民主主義的 ideology の想像界、政治的 hegemony の象徵界、economy の現實界である。 (Zizek, Iraq: The Borrowed Kettle, 2004)
重層的決定 (OTD)
資本主義社會では、主觀的暴力 subjective violence(犯罪、テロ、市民による暴動、國家閒の紛爭、など)以外にも、主觀的な暴力のゼロ度である「正常」狀態を支へる「客觀的暴力 Objective violence」(システム的暴力 " systemic" violence)がある。(……)暴力と闘ひ、寬容をうながすわれわれの努力自體が、暴力によって支へられてゐる。(ジジェク『暴力』2008年)
力動的無意識 (Ubw) (抑壓 (Verdrängung)) / system 無意識 (Ubw) (固着)
蚊居肢: ヒト族の存在の核としての「非抑圧的無意識」
https://gyazo.com/4ca957759b0f7b5b71a79060a803464d
…R>I>S>R…
ーー∅、Φ、φ とは、ニーチェのいう「揮發 verflüchtigen 」記號である。フロイトはそれを去勢と呼んだ(cf. 四種類の去勢)。
蚊居肢: ニーチェのボロメオの環
言語の使用者は、人閒に対するモノの關係 Relationen der Dinge を示してゐるだけであり、その關係を表現するのにきはめて大膽な隱喩 Metaphern を援用してゐる。すなはち、一つの神經刺戟 Nervenreiz がまずイメージ Bild に移される! これが第一の隱喩。そのイメージが再び音 Laut において模造される! これが第二の隱喩。そしてそのたびごとにまったく別種の、新しい領域の眞只中への、各領域の完全な飛び越しが行はれる。
人閒と動物を分け隔てるすべては、生々しい隱喩 anschaulichen Metaphern を槪念的枠組み Schema のなかに揮發 verflüchtigen させる能力にある。つまりイメージ Bild を槪念 Begriff へと溶解するのである。この槪念的枠組みのなかで何ものかが可能になる。最初の生々しい印象においてはけっして獲得されえないものが。(ニーチェ「道德外の意味における眞理と虛について Über Wahrheit und Lüge im außermoralischen Sinn」1873 年)
人閒を動物から區別する所以は、動物の槪念から人閒の槪念に至る迄のどこに形而上を差し挾むかと云ふ任意に過ぎない
2008/10/16 ボノボなど〈動物〉と、〈人間〉のちがい
2008/12/31 人間は「 」するサルであるか
人閒と機械の區別も同じ
verflüchtigen – Wiktionary
揮發。昇華 (catharsis)
去勢
姿を消す。隱れる。遷化 (遷移化滅)。入滅。ガイバ
遷化 - Wikipedia
入滅 - Wikipedia
ガイバ (イスラム教) - Wikipedia
空。卽 (絕對辨證法)
固有名。《私》
永井均「存在と時閒 哲學探究1」2016/3/30永井均「存在と時閒 哲學探究1」2016/3/30.icon
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écriture
撒種。薫習
渾沌。道
存在論的差異 (退隱) の存在者
剩餘價値
一切を說明する記號は揮發記號
私
世界觀
蚊居肢: 四種類の去勢
想像的去勢としての「おちんちんを切ってしまう」
現實界的去勢としての「母の乳房の喪失」「糞便の喪失」
原去勢としての「母からの分離」
象徵的去勢「言語による去勢」
基本的にはどの記號にも空集合がある、というのは集合論の基本である。ラカンは∅をときに(a)とした。
空集合$ \xleftrightarrow{S_1}\Phi\xleftrightarrow{S_2}\varnothing\xleftrightarrow{\cancel S}\varphi\xleftrightarrow{S_1}
語り$ \xleftrightarrow{S_1}\Phi\xleftrightarrow{S_2}a\xleftrightarrow{\cancel S}S(\cancel A)\xleftrightarrow{S_1}
囘轉する四角形とひねられた四角形 : discours
$ \cancel S \to S_1 \to S_2 \to a, 統一$ \varnothing$ a$ \leftrightarrow囘歸$ S_1
$ S_1 \to S_2 \to \cancel S \to S(\cancel A), 明晰$ \varphi$ S(\cancel A)$ \leftrightarrow無限列$ S_2
$ S_2 \to \cancel S \to S_1 \to \Phi, 全體$ \Phi$ \leftrightarrow昇華 (catharsis)$ \cancel S
ボロミアン環 - Wikipediaボロメオの環、borromean ring
Borromean rings - Wikipedia
M-M' (G─G′ )において、われわれは資本の非合理的形態をもつ。そこでは資本自體の再生產過程に論理的に先行した形態がある。つまり、再生產とは獨立して己の價値を設定する資本あるいは商品の力能がある、ーー《最もまばゆい形態での資本の神秘化 Kapitalmystifikation 》である。株式資本あるいは金融資本の場合、產業資本と異なり、蓄積は、勞働者の直接的搾取を通してではなく、投機を通して獲得される。しかしこの過程において、資本は閒接的に、より下位レベルの產業資本から剩餘價値を絞り取る。この理由で金融資本の蓄積は、人々が氣づかないままに、階級格差 class disparities を生み出す。これが現在、世界的規模の新自由主義の猖獗にともなって起こっていることである。(柄谷行人、‟Capital as Spirit“ by Kojin Karatani、2016、私譯)
ラカン)Verneinung は、 セミネールの前に、イポリット氏が私に耳打ちしたように、dénégation(二重否定、前言を翻す行爲)であって、飜譯のやうに négation(否定)ではない。(…)
イポリット)(否定行爲にも打ち勝ち、 抑壓 (Verdrängung)されたものの知的承認に成功しながら)―抑壓 (Verdrängung)過程そのものはこれによって解除されない。
これは私にはきわめて深いものと思われます。被分析者は受け入れ、取り消し dénégationても、抑壓はまだある!
私の結論は、ここで生み出されるものに、ある哲學的名稱を與へなければならないことです。この名をフロイトは述べてはいません。それは「否定の否定 la négation de la négation」(Negation der Negation)です。文字通り、ここで現れるもの、それは知的肯定です。しかし知的であるだけです。というのは否定の否定ですから。こうした用語はフロイトにはありません。しかしこう述べても私はフロイトの思考の延長線にあると思います。これが私が言いたいことです。(ラカン、S1、10 Février 1954)